西の東屋

ちょっと一息

久しぶりに

ブログを書いた。

さて、この書き出しを書いたらなんか自分語りが浮かんできたので、書く。

 

飽き性

私は飽き性だ。ブログも、始めてからすぐに飽きた。

なんでもかんでも飽きてしまう。趣味も1ヶ月持てばいい方。

ハマる。飽きる。その繰り返し。

そうすると年間12回以上は飽きていることになるが、あながち間違いでもないかも。

 

まあ、最初の2~3日はめちゃくちゃ熱中するのよ。

んで、その後の1週間ぐらいでそこそこの熱になるの。

そして惰性で続けるようになって、飽きてやめてしまう。

 

ハマって飽きて、また別のものにハマって飽きて。

その間に、なんにも興味がない状態がある。無キャの時間である。

この時間が苦痛で苦痛でしょうがない。

時間はあるのに、やりたいことがない。いろいろと模索するも、そんな動機でみつかるわけもなく。

なんたる苦痛。私は耐えられないよ。

まあ、実際には複数の興味が湧いて出てくるので、無キャの時間はそこまで多くない。

それでも苦痛。あああああああああ!

 

良いこともある。

一度飽きた趣味が、1年ぐらいたつと再熱する。いいはなし。

つまり、ハマるような趣味が世界から枯渇する危機は回避できるのである。

ゲームで言えば、アイワナは4回ぐらい再熱している。undertaleは3回ぐらい再熱している。Q(某パズルゲーム)は、2回ぐらいか。Qは現在進行系でハマっている。

アニメ,漫画で言えば、ぼざろはすでに1回飽きて再熱している。呪術廻戦もそう。

再熱すると、その趣味に対して新たな楽しみ方を見出すことがある。これもまたうれしいはなし。

あと、めちゃくちゃいろいろ飽きるということは、めちゃくちゃいろいろハマるということでもある。趣味がたくさん。楽しいね!

最後に

1つの趣味にずっと熱中している人がいる。私はそういう人に対して、羨ましがったり見下したりする。

※Vオタは軽蔑の対象です(爆弾発言)

※アニオタは軽蔑の対象ではありません

でも、私は飽き性であることを誇りに思うことのほうが多いし、そう思いたい。

飽きるということは、新たな趣味に出会うチャンスである(またすぐに飽きるが)。

 

つまり、新たな視点の提供である。視点は多い方がいいに決まっているので、いいことである。

無キャの時間は最悪だが、それ以外では人生を豊かにする因子。私は幸せなのかもしれない。